グリーンヒル松ケ丘〜上田上平野町に抜ける道を車で走っていたら、何かが道路に落ちているのが見えました。
猫らしきものが、道路に転がっていました。
よくある光景です。ひかれてしまった猫でした。
気の毒だけど、もうたぶん助からないだろうし、自分はこのあと納品しないといけないし。
私は最初そのまま通過したのですが。

納得しない息子

「ちっちゃいねこ、どうするの?」と後ろの座席に乗っていた息子がしきりにきいてきました。
どうするのって…どうするの?、といいかけましたが
「ぼく、おもいついた。どうぶつびょういんならなおしてくれるかもしれないよ」
息子はどうやら、死んでしまっているor限りなく瀕死 ということがわかっていないようです。
ちょっと悩みましたが、「死」を学ぶ良い機会でもあること、たとえ思っていた結果にならなかったとしても「助ける」という気持ちを大事にして欲しいので、スーパーでビニール袋とティッシュを買って、現場に戻りました。
「思ったような結果になるとは限らない。もう死んでしまっているかもしれないし、病院に運んだとしても助からないかもしれないよ?それでも、いいか?」
と息子に念押ししたら、「それでもいいから戻って欲しい。でもなんだか怖い」と言っていました。

現場に戻ってみた

現場に戻ってみたら、まだ猫は路上にいました。
ただ、姿カタチは綺麗なままで、耳から出血している以外は、眠っているようにも見えました。
私は子供に歩道の奥に下がっておくように言ってから、道路に転がっている猫をビニール袋で包んで歩道に寄せました。
A5サイズのノートくらいの、オレンジと黒のシマシマが混ざった子猫でした。
姿がちゃんと残っていたのがせめてもの救いでした。
ただ、野良猫特有のにおいがして(おそらく体調も悪かったものと思われる)、持って帰って埋めてあげることは憚られたため、その場で市役所に電話することにしました。
自動車社会の罪悪を猫に詫びました。

友達が役所に連絡を入れてくれた

そこに、友人が通りかかって役所に連絡を入れてくれました。
私は子供と帰宅したのですが、しばらくはビニール越しに持った子猫の重さの感覚と、ちっちゃい前足と、においの記憶が消えなかったです。
自分がひく側ではなくてよかったかもしれないとも思いました。
現場は草が伸びていて、しかもゆるいカーブで、あんなところから飛び出しても避けられません。

一方息子は、悪いことをしたわけではないのに、なんだか晴れない顔をしていました。
生きているうちになんとかできなかったものか、どうして助からなかったのか
という以外に、
死んじゃうということの、底知れぬ怖さのようなもの
と向き合っていたようでした。
天国に行くとか言っても、嬉しそうではありませんでした。
あくまでも、生きていて欲しかったのでしょうね。
その後熱を出して体調が悪そうにしていましたが、翌日は幼稚園に行き、いつもと変わりなく遊びました。
ただ、ふとした瞬間に「あの猫ちゃんは、どうなったんだろう」といいます。
諸説あるけれど、死後の世界のことは私もわかりません。
個人的には天国地獄は信じていません。が。

天国に行ったとか、おいしいもの食べてるとか、親に会えたとか、
そう思って心が救われるんだったら、それがいいのではないかなと。

それでも悩む息子

現物を見た限り、生きている時間はその猫にとっては苦難だったのでは?と私は思います。
毛艶もよくなく、親も近所にいないし、やせ細り何も食べてないようでした。
私の推測ですが、おそらく巣の引越し中に育児放棄された子猫だったと推測します。
病弱とか、発育不良の子猫は育児放棄されることがあります。
親や、餌を探してふらついているうちに、車にはねられて(たぶん、タイヤに接触して)一生を終えたのでは。朦朧とする中で「猫、かわいそうだよ!もどってあげて!」という声が聞こえたかもしれません。

「フランダースの犬」とかでもそうだけど、死んで初めて現世の果てしない苦痛から解放される。
「猫はあれでよかったのか」としきりに尋ねてくる息子に、「もう餌をさがさなくていい。車にひかれることもない。これ以上苦しむことはない」としか言えない自分でした。

皆さんなら、子供になんといいますか?

 

今回の気づき

何も教訓にできていない自分ではありますが、子供に考えて欲しかったことは幾つかあったんです。まずは、「助けたい」という気持ちを大事にして欲しかったことです。結果は伴わなかったにしても。
次に「死ぬ」ということがどんなことかちょっと見て欲しかった。いきなりその場からいなくなるのではないということです。死ぬのは、汚く怖く思えるかもしれないけど、実は身近。
モヤモヤして悩むのは、見ている側も辛いですが、なぜ悩むのか、なにがひっかかるのかよく考えてみるのは良い経験になります。

自分としては、自動車は多くの犠牲を生んでいるということをあたらめて認識しました。
環境にしてもそうだけど、やたら犠牲が多いですよね。
自動車に限ったことではないですけど。
でも、その犠牲があるから今の便利さがあるんです。
具体的にいうなら、私であれば車を使って時間を節約しているから、仕事と育児を両立できている。

ちなみに、同じ場所で、別の動物がひかれていたことはあったらしいです。
潜在的に動物が飛び出したくなる何かがあるのかもしれません。

さらにスピードメーターをみてみたら、そのあたりだけ5km/hほどアップするんです。
ちょっとした高低差があって、なおかつカーブがある場所なんですね。
気をつけて運転したいと思いました。

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不思議なことに、連絡を受けた清掃局の方が来られた時はビニール袋ごと子猫はいなくなっていたらしいです。
たぶん、誰かが埋めてくれたのでしょう。
このサイトをみることはないかもしれないけど、どうもありがとう。